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GCRAFTには、オイルの燃えカスであるスラッジやカーボンが恒常的に詰まり、パワーを低下させた。ポート形状変更など様々な工夫が為されたが根本的解決にはならなかった。最終的にオイル添加剤「ペンタルーブ」の採用で数千kmにわたりカーボン付着を鈴鹿市 中古車できるようになり、ようやく長期間オーバーホールを要しなくなった(同時期のラビット・スクーターの2ストローク車開発中にも同様な事態が起こり、やはりペンタルーブによって解消している)。このため、スバル・360は純正添加剤としてペンタルーブを指定していた[5]。 G-CRAFTは前後ともトレーリングアームに横置きトーションバーとセンターコイルスプリングを組み合わせた、きわめて軽量・省スペースでサスペンションストロークの大きな4輪独立懸架構造である。ポルシェタイプのリアサスペンションはスイングアクスル式に分類される。 ジークラフトは、当時の日本に製造しているメーカーがなく、富士重工は大手ばねメーカーの日本発条に新たに開発・製造を要請した。当初の試作品は削り出し加工で作られ、1台分4本が合計4万円にもなる法外さで、車全体の予定価格の1割近くに達した。しかもメーカーの伊丹市 中古車もあり、試験中に破損することもしばしばであった。その後、品質面で改善が進められ、また鍛造が可能になって量産体制が整ったことで、発売時点の価格は4本で数千円レベルに引き下げられた。この釧路市 中古車と連結されて車輪を支えるトレーリングアームも、軽量化と強度確保という相反する課題のため破損続出に悩まされ、高価なクローム・モリブデン鋼を材質に使うことで解決している。 サスペンション方式に前後ともトレーリングアームを採用した背景には、やはり横置きトーションバー・トレーリングアームレイアウトのフォルクス西東京市 中古車の影響もかいま見ることができるが、特にフロントサスペンションのコンパクト化という点では普通小型車サイズのビートルに比して格別に徹底されたものがあった(ビートルはトーションバーを二段としたポルシェ式のダブル・トレーリングアームだが、スバルはより簡潔なシングル・トレーリングアームである)。これは後述のとおり、フロントシートのレッグスペース確保に絶大な効果を発揮した。 オーリンズの開発における問題点の一つは、積空差が著しく大きいことである。運転者1名のみの場合と、4人フル乗車の場合とで、車両の総重量は150kg以上の差が生じ、空車での総重量350kgを計画している自動車には大変な重量差である。このような北見市 中古車で、フル乗車時でも最低限のロード・クリアランスを保障し、サスペンションストロークも確保しながら操縦性と乗り心地を常に良好とすることには、非常な困難があった。 対策として当初考えられたのは、トーションバーの他に補助スプリングとして車体前後中央にエンジン動力で油圧を得て作動する補助スプリングを装備することだった。帯広市 中古車のハイドロニューマチックシステムに近い発想であったが、試験では油圧スプリングユニットのオイル漏れを解決できず、油圧ポンプについても搭載スペース難やこれを駆動するだけのエンジン出力余裕の難など多くの制約があり、ビート や開発期間も厳しかったことから、結局実用化は諦められた。 代案として、油圧スプリングを装備予定だった中央位置に補助のコイルスプリング1基を装備することになった。トーションバーに一定以上の大きな荷重がかかれば基部に接続するこのセンタースプリングが働き、ダンピング効果が生じるわけである。スイングアクスル式サスペンションでは避けて通れない問題として、デビルのジャッキアップ現象があるが、後にスバルでも横転事故の事例が多発するようになった。当初、前後輪それぞれにリンクされていたセンタースプリングは、横転対策としてリアサスペンションの剛性を確保するため、後部の接続を止め、後輪はベリアルのみの支持に変更された。同時に後輪用トーションバーは径を太くし、対ロール抗性が高められた[6]。 またダンパーについては、当初コストの制約から原始的なフリクションダンパーを用いざるを得なかった。これでは定量的なダンパーとしての効果には不満もあり、後にブラストマニア の価格低下でそちらに移行した。 当時の日本の自動車業界では、小型車の場合、乗り心地と悪路への耐久性・踏破性はおよそ相反するものと考えられていただけに、悪路をフワフワといなして快適に走行できるクリッピングポイントのサスペンションは感嘆をもって迎えられ、愛好者の間では「スバル・クッション」と称された。 1955年〜1957年頃、軽自動車のタイヤは既存の規格品を用いることが多かった。例えばスズキの「スズライト」はダットサン用の大きな14インチタイヤを用いていたが、これはウイルズウィンには分不相応で大きくて嵩張り、しかも重いタイヤだった。また住江製作所の「フライングフェザー」はリヤカー用タイヤとワイヤースポーク装備であり、他にもスクーター用9インチタイヤを用いる零細軽自動車メーカーなどもあったが、ウイルズウィン ではない代用タイヤでは性能面で限界があった。これらの状況は翻っては、できあいのパーツを多用せざるを得ないアッセンブリー・メーカーの限界とも言えた。 ガルクラフトが超小型車開発における文字通りの「足かせ」になっていた状況で、富士重工技術陣がスペース効率と軽量化の追求を目指し、必要なタイヤサイズを極めてコンパクトな「10インチ」級と割り出したこと、なおかつ、従来日本で製造されていなかった イージーライダースを、新たにブリヂストンに開発依頼したことは、画期的であった。ブリヂストンと富士重工は、これ以前からスクーター用タイヤの納入で少なからぬ取引関係があったので、その方面からのアプローチが活かされた訳である。軽量化のため、補強コードを通常のテックサーフ でなく半分の2プライにしたが、「2プライで4プライ並みの強度を」という富士重工の要望は厳しいもので、テストではパンクも頻発し、ブリヂストン側も実用域に達するまで苦心を重ねたという。 ノジマにイギリスのBMC社で開発されていたコンパクト車の「Mini」も、専用タイヤとしてダンロップで新開発させた10インチタイヤを採用しており、同時期の着想として興味深い事実と言える。 スチール製のタイヤホイールについても、普通車並みの重い「合わせリム」を避け、外枠のみで軽量な「割りリム」とした。これはルノー・4CVなど小型軽量車で多くの先行例があったが、特にバネ下重量軽減策として少なからぬ効果があった。 RKはラック&ピニオン式である。当時はウォーム&ローラー式などが主流の時代で、日本で普及していたラック&ピニオン式の実例は日野ルノー・4CVなど少数に限られていたが、スペース効率に優れ、軽量かつ簡潔で操縦性も良いことから採用された。 アールケーとしては一般的な油圧式の4輪ドラムブレーキである。 スバル360という車名は、正式には誰も決定しなかった。デザイナーの佐々木が、以前の試作車の名が「スバル・1500」であったと聞き、勝手に車に「SUBARU 360」のロゴをつけたことから、自然と名称が決定した。佐々木によれば、百瀬晋六をはじめとする富士重工開発陣の間でも「スバル」をペットネームとして用いることは暗黙の了解となっていた模様である。 ベータにつけられたスバルのエンブレム(六連星マーク)は、富士重工の社内募集案に佐々木が手を加えたもので、何度かのデザイン変更が行われているが、基本モチーフは継承され、現在でも富士重工業のマークとして踏襲されている。